礼拝説教 2007年12月9日『恵まれた人マリヤ』(ルカ1:26-37)
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(イントロ)
先日、車でラジオを聴いていると、東京のあるホテルがクリスマスをゴージャスに過ごすプランを発表した言う話題がありました。それによると、一泊スイートルームに泊まって、ゴージャスな食事とゴージャスなプレゼントがついて料金が1000万円だそうです。こんなプランで泊まる人がいるのかどうか分かりませんが、日本のクリスマスは、楽しくロマンティックに過ごす時のようです。聖書が語る世界で最初のクリスマスとはあまりにもかけ離れてしまいました。
今日、読みました聖書の箇所は、いわゆる「受胎告知」と呼ばれる箇所で、これまでにも、この出来事は多くの芸術家の心を動かし、有名な絵画が数多くあります。しかし、実際の受胎告知はどのようなものだったのでしょうか。この出来事は当時のユダヤ人にとってもびっくりするようなものでした。御使いガブリエルが、ガリラヤ地方に住んでいた10代の娘マリヤに現れましたが、まず、御使いがイスラエルの都エルサレムを通り過ぎてガリラヤ地方の小さな町ナザレに行ったことが驚きです。ガリラヤ地方は、イスラエルの北部の地方ですが、ユダヤ人と外国人がともに住み、また混血の人も多く住んでいたので、ユダヤ地方に住むユダヤ人たちはガリラヤの人間を軽蔑していました。また、ガリラヤ地方にも多くの町や村があったにも関わらず、御使いがナザレという町に行ったことも驚きです。というのはナザレという場所は旧約聖書には一度も書かれていません。また、主イエスの時代は、ナザレという町には多くの外国人やローマ軍の兵隊たちが住んでいました。そのためユダヤ人は特にナザレを嫌っていました。御使いは、当時堂々たる威容を誇っていたエルサレムの神殿を通り過ぎて、ナザレの町にあったマリヤの質素な家へ行ったのです。マリヤは伝説によると、当時14歳で、まだ世間のこともよく知らない娘でした。おそらく十分な教育も受けておらず、文字も読めず、彼女が旧約聖書の中で知っていたことは、会堂や家で教えられ暗唱させられていたことだけだった思います。恐らく、結婚をして子供を生んで、子供を育てて、ごく平凡な人生を送り、人生を終える、そのような女性でした。つまり、この受胎告知と呼ばれる出来事は、世界でもっとも大切な知らせが、もっとも小さな人に届けられたということです。しかし、この世的に見るともっとも小さな人であっても、マリヤは神様から恵まれた人と呼ばれたのです。
(1)御使いがマリヤに現れる
「ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。御使いは、はいって来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
御使いガブリエルがマリヤに現れました。そして「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」と彼女に言いました。マリヤは、御使いが自分のところに来ることなど想像もしていません。ただ、御使いの言葉を聴いてひどく戸惑いました。「なぜ、御使いが自分のところに来たのか?」「なぜ、自分が恵まれているのか?」「神が自分といっしょにおられるとはどういうことか?」彼女には、ガブリエルの言葉の意味がさっぱり分かりませんでした。それで彼女は、これはいったい何のあいさつかと考え込みました。ギリシャ語によると、マリヤは考え続けたと書かれています。ガブリエルがどんな姿で彼女の前に現れたのか、聖書には書かれていません。私であれば、まず、その御使いの姿に驚いて、御使いの言葉を聴く余裕などないと思いますが、彼女は、その姿におどろいたのではなく、ガブリエルが自分に言った言葉に戸惑っています。彼女は、本当に、思慮深い人でした。御使いガブリエルはマリヤに現れるよりも500年ほど前に、ダニエルという預言者に現れました。その時、ダニエルはガブリエルの言葉を聴いて、恐ろしさのあまり意識を失って倒れています。マリヤは若い女性でしたが、ダニエルよりも勇気があったのでしょうか。彼女は意識を失うことはありません。その言葉の意味について考え込んでいました。私たちも、マリヤの態度を見習う必要があると思います。私たちは、自分に起こった状況で、すぐにパニックになったり、すぐに怒ったり、すぐに落ち込んだりします。しかし、そのような反応を示す前に、私たちは、よく考える必要があるのではないでしょうか。詩篇の119篇78節には次のように書かれています。「どうか高ぶる者どもが、恥を見ますように。彼らは偽りごとをもって私を曲げたからです。しかし私は、あなたの戒めに思いを潜めます」 私たちは、神様の教え、神様の戒めに思いを潜めることが必要なのです。
(2)御使いガブリエルがマリヤにメッセージを告げる
続いて、御使いガブリエルはマリヤに伝えるべきメッセージを語りました。
「マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。」
マリヤは男の子を生むと言われ、またその男の子の名前をイエスとするようにという命令を受けました。マリヤには、御使いの意味が分からなかったでしょう。イエスというのはギリシャ語の発音で、マリヤが使っていた言葉、ヘブル語では「ヨシュア」という名前です。この名前は「主は救い」という意味を持っていますが、ユダヤ人のあいだではごくありふれた名前でした。「なぜ、自分が結婚もしていないのに、男の子を生むのか、なぜ、その子の名前をイエスとつけなければならないのか。」再び、マリヤは深く考え込んだことでしょう。するとガブリエルがメッセージを語り続けました。
「その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」
この言葉は旧約聖書の第二サムエル記7章の言葉からの引用だと考えられています。そこに書かれているのは、当時のイスラエル王ダビデに対する神様の約束でした。それは、ダビデ王の子孫から、やがて、神から遣わされた救い主、メシヤが生まれるという預言で、神学的には「ダビデ契約」と呼ばれるものです。ユダヤ人は、旧約聖書に繰り返し出てくる救い主メシヤに関する預言を固く信じていました。彼らが会堂に集まって神への礼拝をささげるときには、救い主に関する預言の言葉が読まれていました。ですから、若いマリヤも、会堂で、この言葉を繰り返し聴いていたはずで、それがイスラエルの民が長い間待ち望んでいた救い主の預言であることも知っていたに違いありません。ですから、この時点で、マリヤは御使いが語った言葉の意味をだいたい理解したと思います。「自分がやがて男の子を生むが、その子の名前は「主は救い」という意味を持つイエスにすること。その子が神の子、救い主メシヤになるのだ。」ということです。
思慮深く、謙遜なマリヤは御使いガブリエルに答えて言いました。「私は、まだ男の人と関係を持ったことがないのに、どのようにして男の子を生むのですか?」という質問でした。彼女は御使いの言葉を疑っているのではなく、ただ、どのようにそれが実現するのか知りたかったのです。彼女が尋ねていることは、人間的には不可能なことを、神様はどのように実現するのかということです。神の力、神の働きは人間の常識や経験をはるかに超えています。そのため、ちょっと考えるだけでは、まったく理解できないのです。マリヤは信じないのではありません。彼女は自分の身に何が起ころうとしているのかを理解しました。神様の約束を信じました。しかし、それがどのように起こるのか、それを知りたかったのです。
(3)御使いガブリエルの説明
「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。」
まず、ガブリエルは、これが神の奇跡の働きであることを知らせました。聖霊の力によって男の子を身ごもるのだと御使いは言いました。ここで「覆う」と訳されている言葉ですが、この言葉はユダヤ人の間では神の力と神の臨在を表す言葉として用いられています。旧約聖書では、神様が会見の幕屋に来られるときに、雲のように、幕屋を覆いました。また、新約聖書においては、主イエスが3人の弟子を連れて山に登られたときに急に姿が栄光の姿に変わり、エリヤとモーセが現れるという出来事がありましたが、そのときも、神の栄光が主イエスと弟子たちを覆いました。また、世界が作られる前、神の霊が水の上を覆っていたと書かれています。神の霊には無からこの世界を作り出す力があります。神の力と臨在がマリヤを覆うときに、新しい命がつくられました。そして、生まれる者は「聖なる者」であると言っています。つまり、救い主メシヤはまったく罪を持たない方であることを宣言しています。人間として生れる者は誰もが罪を持っています。しかし、救い主は聖なる者としてこの世に来なければなりませんから、このような特別な誕生になりました。そして、最後に御使いが言った言葉は「神にとって不可能なことは一つもありません。」という言葉でした。全知全能の神にとって不可能なことは何一つありません。神様は言われたことを必ず実行される方です。私たちの神様にとって不可能なことは一つもないのです。これを信じて生きるのと、信じないで生きるのでは大きな違いです。マリヤは信じました。
マリヤは、自分が救い主を身ごもった後、周りの人間が自分をどのような眼で見るか想像ができました。ヨセフが苦しむこともわかっていました。自分は、最悪の場合、石打ちの刑になることもあることを知っていました。イエスが神の子としての働きを始めた後も、イエスに反対していた人の中に、イエスが不倫の子として生れたと言う人がいたほどです。しかし、このようなことをすべて知った上で、マリヤは御使いに答えました。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」彼女は、「私ではなく、他の人にしてください」と言うこともできたでしょう。しかし、彼女は生活の全ての面で神の言葉に従うことを決めていたのです。彼女は最後まで信仰を守り通しました。イエスが十字架にかけられたときも、十字架のそばにいました。そして、主イエスが復活し、天に帰られた後も、主イエスに言われたように、約束の聖霊が下るのを待って、他の弟子たちといっしょに祈りを捧げていました。彼女が、神様に全面的に従っていたからこそ、彼女は恵まれた人として選ばれ、神様のために大きな働きをする人となりました。
(4)最後に
私たちは、他の人を見るとき、その人の体力、能力、知識、財産などを見て判断します。しかし、神様が私たちに見ておられるのは私たちの神様への信仰、信頼です。マリヤは謙遜な女性でした。マリヤは神の言葉を深く考える女性でした。マリヤは神の力を信じる信仰を持っていました。そして、マリヤはどんな犠牲を払うことになっても神の御心を受け入れました。だからこそ、マリヤは神様から特別な恵みを受けました。この世的な見方で見ると、彼女の人生は幸福とはいえないものであったかも知れません。しかし、彼女がこの世で生きるときに、つねに、神の力と神の臨在が働いていたのです。私たちもマリヤの信仰にならいたいものです。
(イントロ)
先日、車でラジオを聴いていると、東京のあるホテルがクリスマスをゴージャスに過ごすプランを発表した言う話題がありました。それによると、一泊スイートルームに泊まって、ゴージャスな食事とゴージャスなプレゼントがついて料金が1000万円だそうです。こんなプランで泊まる人がいるのかどうか分かりませんが、日本のクリスマスは、楽しくロマンティックに過ごす時のようです。聖書が語る世界で最初のクリスマスとはあまりにもかけ離れてしまいました。
今日、読みました聖書の箇所は、いわゆる「受胎告知」と呼ばれる箇所で、これまでにも、この出来事は多くの芸術家の心を動かし、有名な絵画が数多くあります。しかし、実際の受胎告知はどのようなものだったのでしょうか。この出来事は当時のユダヤ人にとってもびっくりするようなものでした。御使いガブリエルが、ガリラヤ地方に住んでいた10代の娘マリヤに現れましたが、まず、御使いがイスラエルの都エルサレムを通り過ぎてガリラヤ地方の小さな町ナザレに行ったことが驚きです。ガリラヤ地方は、イスラエルの北部の地方ですが、ユダヤ人と外国人がともに住み、また混血の人も多く住んでいたので、ユダヤ地方に住むユダヤ人たちはガリラヤの人間を軽蔑していました。また、ガリラヤ地方にも多くの町や村があったにも関わらず、御使いがナザレという町に行ったことも驚きです。というのはナザレという場所は旧約聖書には一度も書かれていません。また、主イエスの時代は、ナザレという町には多くの外国人やローマ軍の兵隊たちが住んでいました。そのためユダヤ人は特にナザレを嫌っていました。御使いは、当時堂々たる威容を誇っていたエルサレムの神殿を通り過ぎて、ナザレの町にあったマリヤの質素な家へ行ったのです。マリヤは伝説によると、当時14歳で、まだ世間のこともよく知らない娘でした。おそらく十分な教育も受けておらず、文字も読めず、彼女が旧約聖書の中で知っていたことは、会堂や家で教えられ暗唱させられていたことだけだった思います。恐らく、結婚をして子供を生んで、子供を育てて、ごく平凡な人生を送り、人生を終える、そのような女性でした。つまり、この受胎告知と呼ばれる出来事は、世界でもっとも大切な知らせが、もっとも小さな人に届けられたということです。しかし、この世的に見るともっとも小さな人であっても、マリヤは神様から恵まれた人と呼ばれたのです。
(1)御使いがマリヤに現れる
「ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。御使いは、はいって来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
御使いガブリエルがマリヤに現れました。そして「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」と彼女に言いました。マリヤは、御使いが自分のところに来ることなど想像もしていません。ただ、御使いの言葉を聴いてひどく戸惑いました。「なぜ、御使いが自分のところに来たのか?」「なぜ、自分が恵まれているのか?」「神が自分といっしょにおられるとはどういうことか?」彼女には、ガブリエルの言葉の意味がさっぱり分かりませんでした。それで彼女は、これはいったい何のあいさつかと考え込みました。ギリシャ語によると、マリヤは考え続けたと書かれています。ガブリエルがどんな姿で彼女の前に現れたのか、聖書には書かれていません。私であれば、まず、その御使いの姿に驚いて、御使いの言葉を聴く余裕などないと思いますが、彼女は、その姿におどろいたのではなく、ガブリエルが自分に言った言葉に戸惑っています。彼女は、本当に、思慮深い人でした。御使いガブリエルはマリヤに現れるよりも500年ほど前に、ダニエルという預言者に現れました。その時、ダニエルはガブリエルの言葉を聴いて、恐ろしさのあまり意識を失って倒れています。マリヤは若い女性でしたが、ダニエルよりも勇気があったのでしょうか。彼女は意識を失うことはありません。その言葉の意味について考え込んでいました。私たちも、マリヤの態度を見習う必要があると思います。私たちは、自分に起こった状況で、すぐにパニックになったり、すぐに怒ったり、すぐに落ち込んだりします。しかし、そのような反応を示す前に、私たちは、よく考える必要があるのではないでしょうか。詩篇の119篇78節には次のように書かれています。「どうか高ぶる者どもが、恥を見ますように。彼らは偽りごとをもって私を曲げたからです。しかし私は、あなたの戒めに思いを潜めます」 私たちは、神様の教え、神様の戒めに思いを潜めることが必要なのです。
(2)御使いガブリエルがマリヤにメッセージを告げる
続いて、御使いガブリエルはマリヤに伝えるべきメッセージを語りました。
「マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。」
マリヤは男の子を生むと言われ、またその男の子の名前をイエスとするようにという命令を受けました。マリヤには、御使いの意味が分からなかったでしょう。イエスというのはギリシャ語の発音で、マリヤが使っていた言葉、ヘブル語では「ヨシュア」という名前です。この名前は「主は救い」という意味を持っていますが、ユダヤ人のあいだではごくありふれた名前でした。「なぜ、自分が結婚もしていないのに、男の子を生むのか、なぜ、その子の名前をイエスとつけなければならないのか。」再び、マリヤは深く考え込んだことでしょう。するとガブリエルがメッセージを語り続けました。
「その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」
この言葉は旧約聖書の第二サムエル記7章の言葉からの引用だと考えられています。そこに書かれているのは、当時のイスラエル王ダビデに対する神様の約束でした。それは、ダビデ王の子孫から、やがて、神から遣わされた救い主、メシヤが生まれるという預言で、神学的には「ダビデ契約」と呼ばれるものです。ユダヤ人は、旧約聖書に繰り返し出てくる救い主メシヤに関する預言を固く信じていました。彼らが会堂に集まって神への礼拝をささげるときには、救い主に関する預言の言葉が読まれていました。ですから、若いマリヤも、会堂で、この言葉を繰り返し聴いていたはずで、それがイスラエルの民が長い間待ち望んでいた救い主の預言であることも知っていたに違いありません。ですから、この時点で、マリヤは御使いが語った言葉の意味をだいたい理解したと思います。「自分がやがて男の子を生むが、その子の名前は「主は救い」という意味を持つイエスにすること。その子が神の子、救い主メシヤになるのだ。」ということです。
思慮深く、謙遜なマリヤは御使いガブリエルに答えて言いました。「私は、まだ男の人と関係を持ったことがないのに、どのようにして男の子を生むのですか?」という質問でした。彼女は御使いの言葉を疑っているのではなく、ただ、どのようにそれが実現するのか知りたかったのです。彼女が尋ねていることは、人間的には不可能なことを、神様はどのように実現するのかということです。神の力、神の働きは人間の常識や経験をはるかに超えています。そのため、ちょっと考えるだけでは、まったく理解できないのです。マリヤは信じないのではありません。彼女は自分の身に何が起ころうとしているのかを理解しました。神様の約束を信じました。しかし、それがどのように起こるのか、それを知りたかったのです。
(3)御使いガブリエルの説明
「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。」
まず、ガブリエルは、これが神の奇跡の働きであることを知らせました。聖霊の力によって男の子を身ごもるのだと御使いは言いました。ここで「覆う」と訳されている言葉ですが、この言葉はユダヤ人の間では神の力と神の臨在を表す言葉として用いられています。旧約聖書では、神様が会見の幕屋に来られるときに、雲のように、幕屋を覆いました。また、新約聖書においては、主イエスが3人の弟子を連れて山に登られたときに急に姿が栄光の姿に変わり、エリヤとモーセが現れるという出来事がありましたが、そのときも、神の栄光が主イエスと弟子たちを覆いました。また、世界が作られる前、神の霊が水の上を覆っていたと書かれています。神の霊には無からこの世界を作り出す力があります。神の力と臨在がマリヤを覆うときに、新しい命がつくられました。そして、生まれる者は「聖なる者」であると言っています。つまり、救い主メシヤはまったく罪を持たない方であることを宣言しています。人間として生れる者は誰もが罪を持っています。しかし、救い主は聖なる者としてこの世に来なければなりませんから、このような特別な誕生になりました。そして、最後に御使いが言った言葉は「神にとって不可能なことは一つもありません。」という言葉でした。全知全能の神にとって不可能なことは何一つありません。神様は言われたことを必ず実行される方です。私たちの神様にとって不可能なことは一つもないのです。これを信じて生きるのと、信じないで生きるのでは大きな違いです。マリヤは信じました。
マリヤは、自分が救い主を身ごもった後、周りの人間が自分をどのような眼で見るか想像ができました。ヨセフが苦しむこともわかっていました。自分は、最悪の場合、石打ちの刑になることもあることを知っていました。イエスが神の子としての働きを始めた後も、イエスに反対していた人の中に、イエスが不倫の子として生れたと言う人がいたほどです。しかし、このようなことをすべて知った上で、マリヤは御使いに答えました。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」彼女は、「私ではなく、他の人にしてください」と言うこともできたでしょう。しかし、彼女は生活の全ての面で神の言葉に従うことを決めていたのです。彼女は最後まで信仰を守り通しました。イエスが十字架にかけられたときも、十字架のそばにいました。そして、主イエスが復活し、天に帰られた後も、主イエスに言われたように、約束の聖霊が下るのを待って、他の弟子たちといっしょに祈りを捧げていました。彼女が、神様に全面的に従っていたからこそ、彼女は恵まれた人として選ばれ、神様のために大きな働きをする人となりました。
(4)最後に
私たちは、他の人を見るとき、その人の体力、能力、知識、財産などを見て判断します。しかし、神様が私たちに見ておられるのは私たちの神様への信仰、信頼です。マリヤは謙遜な女性でした。マリヤは神の言葉を深く考える女性でした。マリヤは神の力を信じる信仰を持っていました。そして、マリヤはどんな犠牲を払うことになっても神の御心を受け入れました。だからこそ、マリヤは神様から特別な恵みを受けました。この世的な見方で見ると、彼女の人生は幸福とはいえないものであったかも知れません。しかし、彼女がこの世で生きるときに、つねに、神の力と神の臨在が働いていたのです。私たちもマリヤの信仰にならいたいものです。

