礼拝説教 2008年11月30日 『受胎告知』(ルカ1章26-38節)

2008.12.24

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(イントロ)

 聖書は主イエスが来られるまでの時代を扱っている旧約聖書とイエスが来られた時以降の時代を扱う新約聖書からできていますが、旧約聖書のテーマを一言で言うと、私たちを罪の裁きと罪の支配から救い出す救い主が来られるというものです。この救い主を旧約聖書の言葉へブル語で表すと「メシヤ」となり、新約聖書の言葉ギリシャ語で表すと「キリスト」となります。旧約聖書を信じていたイスラエルの民は、メシヤと呼ばれる救い主が来るという神の約束を信じて、救い主が来られるのを待っていました。しかし、旧約聖書の最後の預言書を記した預言者マラキ以後、神様の預言やメッセージがぱたりと途絶えて、約400年間神様の沈黙の時代が続きます。その間、イスラエルの周辺諸国は、ペルシャ帝国、アレキサンダー大王、そしてローマ帝国と次々に強大な帝国に支配されていました。かつてはイスラエルの国王ダビデが中東の広大な地域を支配した時代がありましたが、主イエスが来られる今から2000年前、ダビデの栄光はすでに忘れ去られていました。旧約聖書にはダビデの王国は永遠に続き、ダビデの子孫から救い主メシヤが生まれるとはっきりと預言されていましたが、人々は、その預言のことも忘れかけていました。なぜなら、すでに長い間イスラエルは、神を知らない民族が打ち立てた国々によって支配されていたからです。2000年前、世界はローマ皇帝によって支配されていました。人間的に見ると、その当時、聖書の預言、すなわち、救い主が来られるという預言はまったく実現不可能のように見えました。しかし、人間的に見てどんなに絶望的な状況の中でも、神様が一度決められた計画は必ず実現します。私たちが知らないところで神様はすでに着々と準備を進めておられるのです。それは、救い主の来臨という大きな出来事についても言えますが、私たち一人一人の生活の中でも、私たちには絶望的に見える状況の中で、神様はご自身の計画を確実に進めておられるのです。


(1)祝福された女性マリヤ

 イスラエルの民がずっと待っていた救い主が私たちの住む世界に来られる時がやってきました。神様の決められた時が来たのです。神に使わされた天使ガブリエルが、イスラエルの国の北に位置するガリやら地方の中のナザレという町に住む一人の乙女マリヤの前に突然現れました。そして、天使ガブリエルはマリヤが約束の救い主を身ごもるのだと語りました。この出来事は当時のイスラエルの民にとっては信じがたいことでした。なぜなら、約束の救い主が生まれるために選ばれた女性がイスラエルの都エルサレムに住む女性ではなく、北の田舎ガリラヤ地方にあるナザレという町に住む女性であったからです。イスラエルの北部ガリラヤ地方には多くの外国人が住んでいたので、そこに住むユダヤ人は外国人と接する機会が多かったのです。そのためエルサレムがあるユダや地方に住むユダヤ人はガリラヤ地方に住むユダヤ人を軽蔑していました。しかも、マリヤが住んでいたナザレにはローマの軍隊の基地があったため、多くのローマの兵士が住んでいました。イエスの弟子の一人ナタナエルは、はっきりものを言う性格でしたが、イエスがナザレの出身だと聞いて「ナザレから何の良いものがでるだろうか」と言っています。そのナザレに住んでいたマリヤはおそらく10代前半の貧しい女性でした。教育も十分に受けていないため、おそらく文字は読めなかったでしょうし、聖書の知識も、子供のころ暗唱したみ言葉以外はほとんど知らなかったことでしょう。このようにマリヤは、人間的に見ると、救い主の母となる資格をまったく持っていない女性です。しかし、人が見る目と神様が見る目は違います。私たちは、人の価値を測る時に、つねにその人の外側しか見ていません。いや見ることができません。その人の家柄、その人が受けた教育、その人が働いている会社、その人が住んでいる家、そのような外側のものを基準にして人の価値を測ります。しかし、神様が人を見る目は、そのような見方と全く異なっています。神様の目には、人の家柄、社会的地位、才能、知識、そのようなものが重要なのではありません。どのような心を持っているかが大事なのです。

私は、昨日、神学校の先輩の方の結婚式の証人を務めたのですが、結婚式で妻のための教えとして司式者が読む箇所に第一ペテロ3章3-4節の言葉がありますが、次のような言葉です。「あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。」神様にとって重要なことは、私たちが何をするか、何ができるか、何を話すかということよりも、私たちがどのような人間であるかということです。

 マリヤは当時の社会では、まったく価値のない人間であったことでしょう。しかし、神様は、マリヤの心を知って、彼女を選ばれたのです。それと同じように、私たちの信仰生活においても、私たちの行動や言動よりも、私たちがどのような人間であるかということのほうがはるかに重要なのです。マリヤの人柄の優れている点はどんな点でしょうか。一つには彼女の思慮深さがあげられると思います。天使ガブリエルは突然マリヤの前に現れて言いました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」天使が目の前に現れただけでも、十分驚きですが、ガブリエルの言葉も驚くべき言葉です。しかも、ガブリエルは続けて言いました。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。」彼女は教育も十分に受けていない10代前半の若い女性です。そのようなマリヤは天使の言葉を聞いてどう思ったでしょうか。ルカは、マリヤが天使の最初の言葉をきいて、「マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。」と書いていますし、男の子を身ごもると聞いて「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」と天使ガブリエルに尋ねています。アブラハムの妻サラは、約束の子供が何年たっても与えられなかったのですが、ついに、ある時、彼らのもとに神の使いが来て「来年の今頃サラは男の子を産む」と言いました。すると、その言葉が信じられなかったサラは、思わず笑ってしまいました。また、バプテスマのヨハネの父ザカリヤにも天使が現れて、彼の妻エリサベツが男のを産むという言葉を聞いた時に、その言葉を信じることができませんでした。そのため、ザカリヤは子供ヨハネが生まれるまでものが言えない状態が続きました。その体験を通して初めてザカリヤは天使の言葉を信じました。信じなかったザカリヤに対しては、天使は次のように言っています。「私のことばは、その時が来れば実現します。」私たちは、天使から驚くようなことばを聞いた時にどのように反応するでしょうか。信じられずに笑ってしまうでしょうか。不信仰のために、神様の約束を信じないために、神様から何かの印を与えられるでしょうか。天使がザカリヤに言ったように「神様の言葉、神様の約束は時が来ると必ず実現するのです。」


(2)マリヤの応答

 天使ガブリエルがマリヤに告げた知らせは、ガブリエルは「おめでとう、恵まれた方」と言っていますが、マリヤにとって見れば、彼女の人生を大きく揺るがす、とんでもない知らせでした。「ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。」彼女は、すでにヨセフという大工と婚約をしていました。当時のユダヤ人の社会では婚約は、より結婚に近いものでした。婚約中の男女は夫と妻と呼ばれ、婚約を解消するすることは離婚と同じことと考えられていました。彼女は親が決めた婚約者であるヨセフと貧しくても幸せな家庭を築きたいというささやかな希望を持っていました。そこへ、何の相談もなく、突然に、しかも彼女のプライバシーを完全に侵すような知らせが届いたのですから、天使の言葉を聞いて、マリヤが怒りを感じたとしても当然のことだと思います。婚約中に、女性が婚約者以外の相手と不倫をして妊娠した場合、石打ちの刑罰で死刑になることもありました。人々からは激しくののしられ、家族からは勘当され、何よりも、婚約者をひどく傷つけることになります。もし、天使の言葉がマリヤのうえに実現するなら、マリヤはその日から重い十字架を背負うことになるのです。これからの一日一日がどんな日になるのか、彼女には想像もできなかったでしょう。しかし、マリヤは天使ガブリエルに答えました。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」

 聖書の中で、神様はいろいろな人々をいろいろな使命に召しておられます。聖書の中にはいろいろなストーリーがありますが、それらはすべて神様が、誰かを選んで、その人に使命を与えて呼びかけているという出来事です。アブラハム、モーセ、ヨシュア、ギデオン、預言者ヨナなど、神様が呼びかけた人の数は数え切れないほど多くいます。神の声を聞いたこれらの人々は、みな、葛藤し、悩みます。しかし、最終的には、神の召しに従って行きます。神様から声がかかったときに、私たちが取るべき最善の決断は、謙遜に神の召しを受けいれることであり、真心から神の召しに従うことであり、最後まで、その召しにしたがい続けることです。そのような神の召しに対する最高の応答がマリヤのこの言葉なのです。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」

 マリヤの言葉は彼女のどのような心を表しているでしょうか。彼女は、神の声を聞いて、これが自分の運命なんだとあきらめて、あのようなことばを言ったのではありません。また、これから自分の身に何が起きるか分らないまま、どうにでもなれとやけっぱちで答えたのでもありません。神様の声は、私たちの心、私たちの良心、私たちの意思、私たちの生きる目的に働きかけます。神様の召しは、ただ単に、私たちがそれを受け入れて従うことだけを求めるのではありません。常に自分から、神様の願いを実現するために生きようとする心が求められます。神様のために生きようという決断が求められます。人は、誰でも、何らかの目的のために生きています。金のために生きる人もいれば、名誉のために生きる人もいます。とにかく、すべての人は、何かの目的のために生きているのです。マリヤは、天使ガブリエルの言葉を聞いて、神様のために自分の生涯を捧げることを決断したのだと思います。自分の願いを実現させるために生きるのではなく、神様の計画が成就するために自分を捧げる生き方です。

 あなたは、一度きりの人生を何のために生きているでしょうか。この世で消えていくはかないもののために生きているでしょうか。それとも永遠に価値のあることのために生きているでしょうか。

                      E.スタンリージョーンズの証